私の祖父母は、福島県の浜通りに住んでいました。
祖父は鉄鋼業を営んでおり、自家用車とは別に、自分用の軽トラックをずっと所持していました。 お仕事を引退した後も、乗り勝手がよいからとずっと軽トラは処分せずに乗り続けていました。
しかし、あの日がきました。 祖父母が住んでいた土地も避難勧告がでたため、祖父母は着の身着のまま、自家用車で避難しました。 それから数ヶ月も、一時帰宅すらできない状態。祖父は家のことと同時に、軽トラが被害にあわないか心配だったそうです。
やっと立ち入り許可が出た日。 祖父母は真っ先に手続きをとって、一時帰宅しました。 ボーボーに生えた雑草の中で、じいちゃんの軽トラは変わらぬ姿でその場所にありました。
しかし、残念ながら窓ガラスが割られており、中に入れていたカーナビなどは盗まれてしまった後でした。 自家用車があり、避難先が遠かった祖父母は、なくなく軽トラをその場に置いておくしかありませんでした。
ずいぶん日にちが経ってから、やっと手続きが取れるようになり、軽トラは処分する方向となりました。 処分する日、私も同席したのですが、滅多なことでは泣かない祖父が、真っ赤な目をしていました。そして、小声で言いました。
「すまなかった」 震災以降、いろいろな別れがありましたが、じいちゃんの軽トラも、とても辛い別れでした。 震災から四年。 じいちゃんはようやく元気を取り戻してきました。
今ではまさかの新しい軽トラックを買おうかと言い出す始末です。 来年90歳になる祖父。 家族全員で今、買わせないように目を光らせています。
車が不要になったので12年間乗り続けた軽自動車を売却することにしました。
そこでインターネットで「車 高価売却」などで検索し、気になった1社の買取り業者に車の見積もりにきてもらうことになりました。 当日に来てもらい、ほんの5分程度の時間で見積もりは完了しました。
営業の方の車の査定金額は「5万円」でした。 元々、複数の買取り業者へ見積もりを依頼しようと考えていましたので「検討してみます」との回答をするも営業の方は簡単には引き下がりません。 なんと、今すぐに車を持って帰らせてくれるなら「8万円」で買取るというのです。
そんな簡単に買取り金額が上がるとは・・。 ますます疑問を感じたのでこちらも引き下がらずに営業の方には検討するのでと帰って頂くことにしました。
そこで他社の見積もりを依頼する前に自分の車が中古車市場でどの程度で販売されているのかを確認しました。 さらにはいくらで買取りしてもらったかの実績を調べてみました。
そうすることである程度の売却時の相場が見えてきました。 私の所有していた軽自動車の中古車相場は約60万円程度で買取りは10万円以上にはなりそうと。
その上で先ほどとは別の買取り業者へ見積もりを依頼し10万円以上でないと売却できないと自分から交渉することにしました。 そうすることで2社目での車の査定結果は「13万円」になりました。 もちろん、このままでは終わりません。
きっぱりと検討すると2社目の営業さんにも帰ってもらい、1社目へ連絡して他社ではそれ以上の買取り査定となったと価格交渉へ。 結果としては2社を競わせた結果、なんと車の買取り価格は「20万円」となりました。